市川友也捕手と巨人の捕手起用(1)

久々の更新です。

 

前回更新してから、それなりに何を書こうとか考えてはいたんですが、結構忙しく放置してしまいました。

 

どうしても書きたいことがあったら書いたのかもしれませんが、忙しい合間を縫ってまでというほどのことはなかったので、今のような状態に至ります。これからもこんなペースだとは思いますが、ゆるく更新はしていけたらと思っています。

 

さて、今回この記事を書いているのは書きたいことができたからです。それが何かというと、僕が愛する読売巨人軍高橋由伸監督についてです。

 

では何故タイトルに入っているのが高橋監督ではなく北海道日本ハムファイターズ市川友也捕手の名前なのか。

 

最初は高橋監督について書く内容を考えていたのですが、それが結構な量になり、本筋から逸れる部分も多くなりました。そこで、いくつかパート分けして書いていくことに決めました。その結果、まずは市川捕手中心の話から書くことにしたのです。

 

まあ見切り発車な部分も大きいので、そのいくつかのパートとやらが多くなるかも少なくなるかもわからないし、一発目が市川捕手である強い理由も今のところはないのですが……。

 

とりあえず、暇つぶしにのんびり読んでいただければ幸いです。

 

 

繋ぎ役を期待されての入団


まず今回は市川捕手のこれまでのプロ野球人生を中心に書いてみます。

 

市川捕手は東海大相模高校から東海大学鷺宮製作所を経て2009年のドラフト4位で巨人に指名され入団。

 

この年のドラフトで巨人は鬼屋敷正人河野元貴と2人の高校生捕手も指名しています。当時の正捕手・阿部慎之助の後継者獲得を狙ったことは想像に難くありません。

 

そんな中で市川捕手に期待されていたのは阿部の後継者という部分もあったのでしょうが、阿部や鶴岡一成といった当時の巨人捕手陣に刺激を与え、将来的には成長した鬼屋敷らの壁となることだったのではないでしょうか。言ってしまえば阿部から鬼屋敷か河野(おそらくドラフト2位と高評価だった鬼屋敷が主でしょう)への繋ぎ役です。

 

正捕手としてよりも2番手、3番手として阿部を、将来的には鬼屋敷らを支えることを期待されての入団だったのではと思います。

 

 

ダメ捕手の烙印


そんな市川捕手のルーキーイヤーは即戦力の期待を背負って始まりました。背番号は27を与えられ、春季キャンプは主力組でスタート。開幕一軍にも選ばれています。

 

打力については長嶋茂雄終身名誉監督にも評価されたほどでした。

 

このシーズンは正捕手の阿部が44本塁打と素晴らしい活躍。一軍での市川捕手の出番はわずか3試合に留まりましたが、二軍では打率.297に2本塁打と結果を残しています。

 

ここから順調に出番を増やしたい市川捕手でしたが、そう上手くはいきませんでした。

 

2年目の2011年からは悪名高いいわゆる「加藤球」が導入。その影響あってか打撃で結果を残せなくなります。さらに市川捕手には腰痛もあり、二軍で多くマスクを被るのは同期で入団した年下の育成選手・河野でした。

 

2011年は一軍出場がなく、2012年もなかなか一軍に上がれない市川捕手の存在感は次第に薄れていきます。

 

それでも2012年シーズン終盤、市川捕手に2年ぶりの一軍での出番がやってきます。

 

この年、市川捕手は一軍で5試合に出場。決して多いとは言えない数字ですが、すっかり存在感が薄れていた市川捕手は当時の僕のような二軍をほとんど知らないファンにも強いインパクトを残しました。

 

 

――悪い意味で。

 

 

その当時の巨人ファンの市川捕手への印象は以下の有名なコピペを見ると伝わってくるのではないかと思います。

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 翌2013年、市川捕手の一軍出場は代走による1試合のみに終わりました。さらにシーズン後のドラフトで巨人は日本生命小林誠司捕手を1位指名。

 

絶対的正捕手として阿部が君臨し、實松一成加藤健井野卓が脇を固める巨人捕手陣。さらに若手に鬼屋敷と河野がいて、ドラフト1位で小林を獲得。そこにもはや市川捕手の居場所はありませんでした。

 

結局市川捕手は現在所属している日本ハムへ金銭トレードで移籍することになります。

 

このトレードに際し、市川捕手の退団を惜しむ巨人ファンというのはほぼ皆無であったように思います。市川で金銭をもらえるのかといった驚きすらあったと記憶しています。日本ハムでの仕事は二軍の数合わせだろう。少なくとも僕はそう思っていました。

 

しかし、その予想は大きく裏切られることになります。

 

 

新天地で別人へ


移籍1年目の2014年、市川捕手は一軍で71試合に出場。巨人時代、4年で一軍出場が9試合、ヒットすら放ったことのない男が打率.263に2本塁打、19犠打をマークして一軍に定着したのです。

 

翌年以降も彼は活躍を続けました。

 

交流戦の古巣巨人戦で坂本勇人の盗塁を阻止したり、クライマックスシリーズの大舞台で日本球界の宝・大谷翔平投手とバッテリーを組んだり、日本ハム10年ぶりの日本一に貢献したり……

 

いずれも巨人時代の市川捕手からは考えられない活躍です。

 

そんな市川捕手を見て、巨人にいてくれたら……と全く思わないと言えば嘘になります。

 

今年の巨人は阿部が捕手をこなせるコンディションになく、小林が正捕手として起用されました。しかし、小林に続く2番手捕手、それこそ日本ハムで市川捕手がこなすポジションの選手不在に巨人は苦しめられます。このことで小林は大きな負担を強いられました。打率.204という結果に終わった打撃や、時折見せた守備面でのくだらないミスは、休みなく起用されたことによる疲労と無縁ではなかったでしょう。市川捕手のような二番手がいたら改善された部分もあったのではないかと思います。

 

 

しかし、だからと言って2013年オフの誰も惜しまなかったトレードを今になって悔やんでいるわけではないのです。

 

あのコピペに描かれていた市川捕手――彼を放出した判断のどこに間違いがあったというのでしょう。あのまま巨人にいて今のような活躍ができたとは到底思えません。

 

彼がここまで飛躍したのは環境の変化によるもの。そう割り切るしかありません。今の市川捕手は巨人時代の彼とはどう見ても別人です。巨人は2009年のドラフト4巡目で誰も指名しなかった。あの市川友也という捕手は日本ハムがいつだったのか知らないけど指名した捕手。そう思わせるくらい違っています。

 

だからFA選手の人的補償で移籍していった一岡竜司投手や奥村展征選手に対して感じたような感情が湧いてこないのです。一岡や奥村と違って市川捕手は始めから巨人には存在していませんでした。

 

しかし、実際にはあのコピペに描かれていた、わずかな一軍出場で強いインパクトを残した、どう見てもダメダメだった市川捕手は確かに存在したのです。そして彼は日本ハムで大きく変化しました。

 

 

次回はどうしてそのような変化がもたらされたのかというところから書いていきたいと思います。